感傷的ノクターン

三つ子の自宅に居候させてもらい始めてしばらくが経った。
こんな風に住み込みにさせてもらったり、住み込みになってからはまかないの食事付きになったし、なんだかとても優遇されている気がしている。
さすがにエモンガやシママの食事は含まれることはないが、ポケモンフーズくらいはもう自分で買える。

床に敷いた寝袋の上で丸まっているエモンガとシママは、すでに夢の中だ。
ふと枕元の時計を見ると、日付が変わって少し過ぎた頃を差している。もう一時間近くこうしてごろごろしているのに、なんだか今日は眠れない。キッチンで水でももらおうかな……。
部屋という名の物置を出てキッチンへ向かおうとすると、何か音が聞こえてきた。暗闇の中での物音に体が震える。
たしかに、聞こえる。何をしている音かまではわからないくらいの小さい音だ。

 

「下からだ……」

 

静かに階段を下りると、キッチンに電気が点いていた。音もそこからだ。
まさか、泥棒? 戸締りは毎日三つ子の彼らが交代でやっているし、今日の当番はコーンくんだったはずだ。まさかコーンくんが戸締りを怠るとは思えない。

できるだけ足音を殺して廊下を進み、そっとキッチンを覗き込む。覗き込んでから、安堵と驚きが同時に訪れた。

中にいたのは泥棒でもなんでもなくコーンくんだった。
しゃがみこんでオーブンの前に張り付いているコーンくんはウェイター服のままで、営業が終わってから彼が着替えてもいないというのがわかる。
何か急ぎの仕込みでもあったのだろうか。でも、だとしたらデントくんとポッドくんも一緒にいていいはずだし、営業後も特に何も言っていなかったからきっと違う。それに仕込みなら、自宅のキッチンではやらないだろう。
そうなると、コーンくんが個人的に何かをしているということになる。何してるんだろう。

このままこっそり見ているのも居心地が悪いし、もし覗いているのがばれたりしたら後が怖いので思い切って声をかけることにした。

 

「コーンくん」

 

私の声にこちらを振り向いたコーンくんの左目が大きくなった。声こそ出さないけれど結構驚いたらしい。
コーンくんは立ち上がってエプロンのしわを伸ばした。だけども眉間にはしわが寄っている。

 

「こんな時間までまだ起きていていたんですか?」
「それコーンくんが言う?」
「……」

 

私は眠れなかっただけだが、コーンくんに至っては着替えてすらいないので、眠る気で言えば私のほうが勝っているはずだ。
反論が浮かばなかったのか、コーンくんは斜めに視線を逸らした。意味もなく勝ったような気分になる。別に勝負でも何でもないけど。

そろりとキッチンに足を踏み入れる。作業中だから追い出されるかと思ったけど、特にそんな様子はなかった。作業台には薄力粉やらふるいやらが放置されている。

 

「ケーキ、作ってたの?」
「新しいデザートをメニューに加えようと思っていたので、その試作です」
「へえ……!」

 

新作デザートか。それならなおのこと他の二人も一緒にやりそうだけど、もしかしたらまだコーンくん個人のイメージ段階なのかもしれない。
オーブンを覗くと、膨らんだスポンジケーキが見えた。焼き上がりまでの残り時間をデジタル表示が刻んでいる。あと数分だ。なんとなくそのまましゃがんだ。

 

「寝ないんですか?」
「未来の新作ケーキが気になるから、ちょっとだけ見てていい? 邪魔はしないから。言ってくれれば手伝いもするよ」
「……朝、起きれなくても知りませんよ」
「大丈夫、早起きは得意だよ」

 

実際、早起きは得意だ。こう見えて、けっこう健康的な朝型人間である。
早く寝ろと怒られるかと思った予想はいい意味で裏切られた。ご自由にどうぞ、という言葉には突き放したり邪険にするニュアンスは感じられなかったのでご自由にさせてもらう。コーンくんも隣に、先ほどと同じようにしゃがんだ。

 

「ケーキが膨らんでるの見るのって楽しいよね」
「もう膨らみ切っていますけど」
「いや、そうだけどさ。なんかこう、成長してるなーって感じがしない? パン生地を発酵させるのとか」
「あまり」
「うーん、そっか。ポッドくんとかならなぁ」

 

この感じをわかってくれそうな気がする。デントくんは半々くらいだろうか。

 

「どうしてそこでポッドなんです?」
「え?」

 

オーブンから私に移された視線は少々鋭さを含んでいる。なにかおかしなことを言っただろうか。

 

「いや、ただ単にポッドくんは肯定してくれるかなって……」
「コーンにもわかります」
「え、でもさっきはあんまりって、」
「黙ってください」
「すみません……」

 

なぜか前言撤回するコーンくんが不思議でならない。
感覚はそれぞれだからわかってもらえなくても構わないし、むしろ内容があまりにもくだらないので、そうですかと流されるかと思っていた。というか、今のは私が謝るのはおかしい。反射的に口から出てしまったけれども。

 

「単純思考のミエルとポッドの考えが、コーンにわからないはずがありませんから」
「それ、なんか傷つく言い方」
「単純思考、にですか?」
「それもだけど……」

 

別にポッドくんを馬鹿にしてるわけではないけど、そういうくくりで一緒にされるのは少々癪だ。

 

「ポッドと一緒にされたことにですか。これはポッドが怒りますね」
「そもそもコーンくんが一番ひどいこと言ってるからね!?」

 

遠回しに私とポッドくんを小馬鹿にしているコーンくんが一番ひどい。

そんな話をしていると、オーブンが音を発しケーキの焼き上がりをお知らせしてきた。立ち上がったコーンくんは、ミトンをはめて再びしゃがみ込む。オーブンが開くと、ふわりと甘い香りが広がった。
取り出されたケーキは作業台に、ぼすんと音と立てて落とされる。蒸気を抜いたのだ。ケーキクーラーに載せ、型紙を外したら冷めるのを待つ。

 

「いい香り」
「コーンが作ったんですから当然です」
「うん、そうだね」

 

単純にそう思った。試作とはいえ、コーンくんが作ったんだからおいしいに決まっている。
普通にそう思ったから肯定して答えた。コーンくんを見ると、なぜか目をぱちくりさせている。

 

「コーンくん?」

 

声をかけると我に返ったように、ふるいやボウルなどを流し台へ運び始めた。

 

「まったく……」
「え?」
「なんでもありません。何もしないなら早く寝てください」
「じゃあ片づけ手伝うよ。ここにいたいし」
「……そうですか。では洗ったものを流してください」
「わかった」

 

使用した道具の片づけを終えると、粗熱のとれたケーキに包丁が入れられた。

 

「……わっ、すごい」

 

ただのスポンジケーキではなかったらしい。ケーキの断面はチョコレートがマーブル状になっていてとても鮮やかだ。

 

「チョコレートは完全に混ぜ込まなかったんだね」
「それだとただのチョコレートケーキにしかなりませんからね。新作と謳うには弱くなります」

 

切り取られた一切れのケーキにフォークを添えると、コーンくんはそれをこちらに差し出してきた。

 

「……え」
「手伝うのは片づけだけですか?」
「そんなことはないけど……」
「なら、ついでです。意見があればお願いします」

 

まさか味見を頼まれるとは思わなかった。
神妙に頷いてお皿を受け取り、フォークで一口分を切って口へ運ぶ。ふんわり柔らかい舌ざわり。ケーキなので当然甘いが、ビターチョコレートを使ったのかほのかな苦みがある。いいバランスでおいしい。

 

「あ、でも」
「はい」

 

少し躊躇った。プロでもないのに私が意見を言っていいのだろうか。でもコーンくんは私の言葉を待つように頷いた。言って大丈夫だろうか。少しだけびくびくしながら口を開く。

 

「少しだけ、チョコレートが主張しすぎな気がする。ケーキの甘さが全体的に傾いてる感じ、かな」

 

おいしいけれど、チョコレートの苦みが少々強い。コーンくんは自分もケーキを一口食べると頷く。

 

「なるほど、たしかに。チョコレートの割合を下げるか、カカオ度数の低いものに変えるか、ですね」
「うん。苦みはもう少しふんわりさせるのがいいと思う」

 

コーンくんは壁に付いたフックにひっかけられていた紐付きのノートをとると、ペンを走らせた。

 

「もしかして、レシピのノート?」
「少し違いますが……、アイデアノートみたいなものです」

 

隣からノートを覗いてみると、ポッドくんやデントくんが書いたと思しきものもあった。三人で共有しているようだ。

 

「ちなみに、」
「うん」
「このケーキが完成したら、どういう飲み物が合うと思いますか」
「え、うーん、このケーキに……」

 

女性のお客様に似たことを訊くなぁと思った。もう一口ケーキを食べてみて、この味に合う飲み物を脳内検索する。
スタンダードな紅茶、フルーツティー、コーヒー、ミントティー……合いそうなものはたくさんあるが、スポンジケーキのみで判断するのは難しい。

 

「クリームによるかな」
「クリーム?」
「このスポンジ、生クリームとチョコクリームのどっちでも合うと思うんだ。だからそれで変わってきそうかなって」
「ふむ……。なるほど、そのアイデアは採用しましょう」
「え、採用されるの!?」

 

コーンくんはさらさらとペンを動かし『通常の生クリーム、チョコクリームの両バージョンでの提供も可能か』とメモ書きをした。ド素人の意見が採用されるとは。

 

「ほんとにいいの? 大丈夫?」
「まあ、組み合わせは後で試してみます。あくまで仮です」
「そうだよね」
「ですが、素人の意見だろうと取り入れていかなくては良いものはできません」

 

その言葉はまさにプロだと思った。
そうか。固執せずに意見を聞かなければ、良いものはできないのか。自分の意見が採用されたことが、急にとても嬉しく思えてくる。

 

「かっこいいね。さすが、プロだなぁ」
「ミエルにもなれますよ」
「プロに? いやいや、遠すぎる道だよ」
「誰しも最初からプロの人などいません。皆、初心者や素人からスタートするんです」
「あ……、そっか」

 

盲点を突かれた気がした。
全員スタート位置は同じ。私はコーンくんたちよりもスタートが遅かっただけで、かつてはみんなも私と同じ場所にいたのか。あとは、私がそこから少しでも追いつけるかどうか。
コーンくんはノートを閉じると、残りのスポンジケーキにラップをかけた。

 

「明日、ポッドとデントにも味見してもらうことにしましょう」
「うん」
「皿とフォークの片づけをお願いできますか」
「任せて!」

 

食べかけだったケーキを食べ終え、食器をさっと洗う。
このケーキが正式にメニューに加わるのが楽しみだ。

片づけを終えると、コーンくんはケーキを冷蔵庫にしまった。時計を見ると、もう午前一時になっている。

 

「二階に行きますよ」
「あ、うん」

 

階段を上り、コーンくんの部屋の前に着く。私の部屋はその少し先だ。

 

「ああ、そうだ。忘れていました」
「なにを?」
「少し待っててください」

 

コーンくんは一度部屋に入るとまたすぐに出てきた。

 

「今月分の給与明細です」
「あ、どうも……」

 

差し出された茶色い封筒を受け取る。このタイミングでか……。最初の一か月はひどかったからなぁ。ここ二か月は安定と言えば安定だけども。

 

「それでは」
「あ、うん。おやすみなさい」

 

私も部屋へ戻り、エモンガとシママを起こさないように小さなライトを点けて封筒を開ける。
またさほど変わらない金額だろうと思っていたが、開けてみてから驚いた。今月はなんと通常の基本給とほぼ同額が記されていた。そういえば、今月は損失を出すような大きなミスもしていない。
私、頑張った。素直にうれしさを感じる。そのまま明細の下へと目を動かす。そこだけ、手書きで書き足されていた。

 

“借金残高 ──……”

 

それを見て、少しだけ呆然としてしまった。もう随分少なくなっていた。ああ、あとこれだけか。給与明細と言っても、私の場合は借金の残高明細でしかない。

どうして自分がここにいるのかを改めて思い出す。
手に力を込めたせいで、明細書が少ししわになった。

 

感傷的ノクターン
───夜想曲