「ミエル、そこの砂糖を取ってもらえますか?」
「あ、うん……」
コーンくんに言われて、砂糖のケースを手に取り差し出す。でもコーンくんは受け取らない。どうしたんだろう。それに加え、みるみる顔をしかめていった。
「あなたの目は飾り物ですか!? 砂糖だと言ったでしょう!」
「……え、え?」
そして気づいた。私が持っていたケースには『Salt』のシールが貼られている。しまった。ぼーっとしてしまっていた。
「ご、ごめんなさい……!」
慌てて砂糖のケースを取り直してコーンくんへ渡した。
久しぶりにコーンくんの怒声を聞いた気がする。怒られたいわけではないし、怒られたくないけど。
まったく、とコーンくんはため息をついた。目が合ったポッドくんは苦笑している。久しぶりにミスしたな、と言いたげだったので私も苦笑で返しておいた。
なんだか頭が痛い。体もだるい。喉がいがいがする。まずいな……風邪でも引いたのだろうか。
病は気からと言うが、その通りな気がした。風邪を引いたかもしれないと思った途端、体調の悪さが一気に自覚され体にのしかかる。
逆を突いて「自分は元気だ」と呪文のように唱えても、頭痛やだるさがそれを押しのけて出しゃばってくる。
「ミエル、フロア出てもらえるか」
「はーい……」
ポッドくんにかろうじて返事をする。
申告したほうがいいのだろうか。しかし、まだ昼時のピークは終わっていないので忙しい時間帯だ。こんな時に具合が悪いとは言えない。
それに、動き続けていれば逆にハイになって平気になるかもしれない。うん、きっとそうだ。
厨房から出ようとコーンくんの横を通りすぎる……と、何かが手首を掴んだ。
突然のことに驚いてその先を辿ると、驚いた様子のコーンくんに行き着いた。コーンくんの手はひんやりとしていて気持ちいい。
しかしながら、コーンくんと手が触れていることに、余計に体温が上がりそうな気がした。
「こ、コーンくん?」
「なんですか、この体温……!」
だめだよコーンくん。言わないで。言ったら余計に体調不良がでしゃばるから。
「ミエル、なんか顔色悪いぞ……!?」
ポッドくんの声が頭に響く。そんなにわかるほど顔色が悪いのだろうか。
「ミエル! こっちに、」
「ぅえ、ちょ、ちょっと待って……!」
コーンくんは私の手を引っ張り、厨房を出ようとする。それに付いていくくらい造作もない。普段なら。でも今の私は、ついにふらふらと足元もおぼつかないまでになっているらしく、コーンくんの引っ張る力にバランスを保てずその場に倒れこんでしまった。
「ミエル!」
「だ、大丈夫、だいじょうぶ……」
へらりと笑ったつもりのところで、その先は覚えていられなかった。
*****
ふと、意識が浮上して目を開けた。
首だけ動かして周りを見ると、私はどこかの部屋のベッドに寝かされているらしい。
閉められたカーテンの隙間から差し込んでいる光は、わずかにオレンジ色だ。……夕方?
「え……、……まずい!」
飛び起きてカーテンを開けると、太陽は半分ほど沈んでいる。
私、どのくらい寝てた? というか“寝てた”? 仕事中に? 冷や汗が流れる。
布団を跳ね除け、大急ぎでベッドから抜け出して靴を履く。ワイシャツのままで寝ていたようだが、シャツもズボンもそれほどしわになってはいないから大丈夫だろう。
ハンガーに掛けられていたベストとネクタイを見つけたので、それを外して扉へ走る。
「っだ!?」
「……!?」
ドアノブに手をかけようとする。が、突然こちらに迫ってきた扉は私の顔を直撃し、私は鼻を押さえて尻餅をついた。どうしてだ、私、扉に触ってないよね?
「な……!? ミエル、起きたんですか!」
鼻を押さえたまま顔を上げると、声の主はコーンくんだった。どうやら今のは、コーンくんが扉を開けたタイミングだったらしい。一番怖い人に最初に会ってしまった。
「こ、コーンくん! ごめんなさい! すぐ仕事戻ります!」
「は……? 何バカなこと言っているんですか! あなたが戻るのは仕事じゃなくてベッドです!」
「……お、大声やめて、頭に響く」
「あ……自分だって大声出したじゃないですか」
コーンくんの怒声はいつも以上に頭に響いた。ちなみに自分の声もだ。
ばつの悪そうな顔をしたコーンくんは、私を立たせるとゆっくり手を引いてベッドへ向かう。その間に、手に持っていたベストとネクタイを取り上げられた。
「さっさと寝てください」
「は、はい」
反論を許さない声で言われ、おとなしくベッドへ入る。
コーンくんは私の頬に手を当てた。あ、やっぱり。さっきもだったけど、
「コーンくんの手、ひんやりしてるね」
「そうですか? ミエルが熱いだけですよ」
でもさっきよりはましですね、とコーンくんの手がおでこに移動すると何かをはがされる。熱冷まし用の冷却シートを貼られていたらしい。気づかなかった。
「ちょっと失礼しますよ」
「……ふおっ」
前髪を上げられ、新しい冷却シートが貼られた。その冷たさに変な声が出てしまった。冷却シート特有の匂いで鼻がスースーする。
「あの……私、どのくらい寝てた?」
「四時間くらいですね」
「げっ……」
「それよりも、」
どうしてすぐに言わなかったんですか。
叱責の中に心配が混ざったような言い方だった。
「忙しい時間帯だったし、なんか、言いづらくて……」
「気持ちはわからなくもないですが、そこで無理して倒れたらそのほうがひどいでしょう」
「ごめんなさい……」
「素直でけっこう」
コーンくんはため息をついて、先ほど私から取り上げたベストとネクタイをハンガーにかけ直す。
その様子を見ながら、改めて部屋全体を見回してみた。
青いな、この部屋。単純な印象だった。
さっき開けたカーテンも、机に備えられている椅子も、床に敷かれたマットも、私が寝ているベッドの布団カバーも。その他小物などを始め、いろいろなものが青や水色といった寒色系でまとめられている。
そこで思考が途切れればよかったのに。私の脳は熱があるくせにそのまま動き続け、ひとつの予想を私に与えた。
「あの……コーンくん」
「はい?」
「ここって……もしかして、コーンくんの部屋だったりする?」
控えめな質問として口から出たその予想を、なんとなく外れてほしいと思った。
「そうですが」
コーンくんはそれがどうしたというニュアンスで、一言そう言った。当たってしまった……。
「何かご不満でも?」
「い、いいえ! 滅相もございません!」
何度か見たことがある殺人的な視線と低い声に、慌てて否定した。その視線、今の私にはかなりきつい。
これ以上はこの件について訊かないほうがいいだろうという判断は、決して間違っていないだろう。
「とにかく、おとなしく寝ていてください。僕はまだ仕事があるので戻らないといけませんが」
「迷惑かけて申し訳ございません……」
「別にお気になさらず。さすがに、病人に鞭打ってまで働かせるつもりはありませんから」
サンヨウレストランがブラック企業のような職場じゃなくてよかった、と心底思った。
さっきは一瞬きつい視線が向けられたけど、今のコーンくんはいつもより優しい気がする。お客様に対しては例外なく優しいけどね、私が例外になっているだけで。でも今は病気さまさまだ。
コーンくんはベッドサイドに置かれたスポーツドリンクのペットボトルを指さした。
「今のミエルは風邪を治すことが先です。きちんと水分を摂ってください」
「……はぁい」
「あと、気づいてなかったんでしょうが、そこに着替えを置いてあるので寝づらければ着替えてください」
指さされたのは枕元で、そこには水色のジャージを思われるものが畳んで置いてあった。
先ほどは慌ててベッドから出ていたので、全然気づいていなかった。言われてみれば、今私が着ているのは仕事用のウェイター服だ。寝るのに適した服ではない。
頷いた私に納得したらしいコーンくんは「またあとで来ます」と扉へ向かった。
今はきっと休憩なわけではないのだろう。仕事中だろうに、その合間に来てくれたことに私はとてつもない感動を覚えた。
だっていつも怒られてばかりだったし、それでいて普段から厳しいのに、あのコーンくんがだ!
扉を開けたコーンくんは、ふと思い出したようにこちらを振り向いた。
「トイレはこの部屋を出て右、洗面所の手前です。行けばすぐわかります」
「わかった。ありがとう」
扉が閉まりコーンくんの足音も遠ざかっていくと、しん、と静かになる。
おそらくここは、レストラン兼ジムのすぐ近くに位置する三つ子の住まいなのだろう。もし家が遠かったら、男三人がいるとはいえ意識のとんだ私を運ぶのは厳しいはずだ。
部屋はひとり一部屋のようだし、もしかしたら他の二人の部屋もそれぞれのパーソナルカラーで染まっているのかもしれない。この部屋をベースにして想像してみる。
デントくんは黄緑……うん、落ち着いてていいね。ポッドくんは赤……ああ、なんか強そうな感じかな。
でも、仮にさっき目が覚めた時に周りが赤だったら余計に熱が上がりそうな気がした。そう考えると、青い部屋のほうが気分的にもクールダウンできていいかもしれない。
「……あ」
そうだ。ここはコーンくんの部屋だ。
つまり私が今寝ているこのベッドは、普段はコーンくんが使っているもの、というところに思考が行き着いてしまう。
「あー……、えーと、うん……」
意味を成さない言葉をいくつかこぼし、思わず体を丸めた。枕カバーや布団からは、柔軟剤のようないい香りがする。
改めると、ここに寝ているのがなんだか恥ずかしい。それが、単に男の子の部屋であるせいなのか。それともコーンくんの部屋だからなのか。
どちらの意味にしろ、私にとってはひどく落ち着かなくなってしまうものだった。
偶発的ファンタジア
───幻想曲