「すみませーん、注文お願いしまーす」
「は、はい。ただ今!」
女性三人組のテーブルから声がかかった。
ポッドくんと目が合うと、笑って頷いてくれたので私がそのテーブルへ向かう。
笑顔、笑顔……大丈夫、できるよ。自分に言い聞かせながら、注文ボードとペンを手にお客様へ近づいた。
「ご注文をお伺いします」
「えっと、スペシャルランチプレートを二つとBランチセットを一つ」
「ねえ、やっぱりケーキも頼まない?」
「そうよ、あたしデザートも食べたい」
「うーんそっか。あ、ごめんなさい、ちょっと待ってて」
「あ、はい」
注文票に言われた品を書き込む。
私より年上と思しき女性三人はデザートのページをめくる。様子を見ていると、一人が顔を上げて私を見た。
「そういえば君、初めて見る顔ね」
「あ、たしかにー」
「あ……はい。最近入った者なので」
まさか、借金返済のタダ働きです、とは言えないので無難な返事をしておく。
「そっかぁ。あたしたちけっこうここに来るから新人さんはすぐにわかるんだけど、今日初めて見たからほんとに最近なんだね」
「お名前は?」
「ミエルといいます」
「ミエルくんかぁ。よろしくね」
「……え。……あ、はい! こちらこそ」
一瞬間ができてしまったけど咄嗟に笑顔を向ける。……聞き間違いだろうか。
ポッドくんが近くを通り過ぎる瞬間に小さく「ぶふっ」と吹き出したのが聞こえた。
それぞれデザートも決めたお客様の注文を確認し、私はフロアから厨房へ向かう。厨房からは笑い声が聞こえてきていた。なんとなく予想はつくけど。
私が戻ると、予想していた通りポッドくんがゲラ笑いしていた。
「うるさいですよポッド。何をそんなに笑ってるんですか」
「フロアで何かあったのかい?」
「お、おう……あった! ぶはっ!」
私の顔を見たポッドくんは再び吹き出す。笑いの理由はわかる。わかるけど。人の顔を見て笑わないで欲しい。
コーンくんが私に視線を移して眉をひそめる。
「ミエルが何をやらかしたんです?」
「ええ!? いや、私は……!」
どうやら私が厨房のみならず、フロアでもミスをしたと思ったらしい。今までの汚名とその確率を考えると無理もないけど、さすがに今回は無実だ。
「いや、ミエルはミスはしてないぜ……っ、してないけど……!」
「してないならいいじゃないか。でも、それならなおさら理由がわからないな」
息を整えながら、ポッドくんはようやく落ち着いてきたらしい。
「ミエルはポッドがどうしてこんなになってるかわかるの?」
「あー……うん、たぶん」
「何があったんですか」
ポッドくんが目に溜まった涙を拭った。泣くほどツボに入るものだっただろうか。
「こいつ、注文聞いたテーブルの女性客に……くくっ、男と間違われたんだよ!」
「は?」
「へ?」
コーンくんとデントくんの視線が同時に私に向けられる。あはは……と曖昧に笑うしかない。
聞き間違いと思いたかったけど、お客様は私が名乗ったときにミエル“くん”と言った。普通に考えて、女とわかっていたら君付けはしないだろう。つまり私を男の子だと勘違いしたということだ。
三人と同じウェイター服を着ていたせいだろうか。髪が短いからかな。ああ、でも。
私は自分の体へ視線を下げる。すとーん、と真っ直ぐにつま先が見える。その途中に障害物無し。女子としてあるべきものがほとんどない平坦な上半身が、一番の理由かもしれない。
ぽかんとしたコーンくんとデントくんは、くるりと横を向いた。デントくんは口元を押さえているし、コーンくんは肩が震えている。それを見たポッドくんは改めてさっきのことを思い出したのか、また吹き出した。
「……そんなに笑うとこ?」
「笑うとこだろ!」
「い、いや、ごめん。まったく予想してない答えだったから、つい……!」
「……っ」
「コーンくん、声出して笑っていいよ」
そこまで必死に耐えるくらいなら、もういっそポッドくんのように盛大に笑い飛ばしてほしい。それにしてもみんな笑い過ぎな気がする。
「あのー、それより注文を……」
私の言葉にハッとしたように三人は動き始めた。顔はまだ笑い足りなそうに見えるけど。とはいえ、私も仕事をしなければ。
「二番テーブルに注文が入りました」
「了解!」
注文票を、壁にあるホワイトボードの“未配膳”の欄に貼りつける。
「ミエル、こっちでサラダの準備をお願い」
「はい」
デントくんの隣で野菜の下準備をする。
そういえば、厨房の雰囲気が随分穏やかになっているのに気付いた。私とポッドくんがそうしたように、コーンくんとデントくんも何か話をしたのかもしれない。
それに加えて、先ほどの大笑いのネタのおかげもあると思う。とても不本意だけど。
ここで働き始めて十日余り。コーンくんが笑うところを私はさっき初めて見た。
毎日毎日怒られてばかりだったから、険しい表情しか見たことが無かった。
作業の手を休めずにデントくんは口を開いた。
「初めてのフロアはどうだった?」
「あ、うん。一応ちゃんとできたかな、とは思ってる。少なくともミスはしなかったと思うけど……たぶん」
なんて不安定な返事なんだろう。
一応とか、思ってるとか、少なくともとか。最後にはたぶんまで付いてしまった。
一言「ちゃんとできたよ」と自信を持って言えればいいのに。それができない。
「そっか。初めてなのにできたのは偉いよ」
「え……」
偉かったのだろうか。できて当然、と言われるかと思っていた。
「コーンならそう言うかもしれないけどね」
小声でデントくんは苦笑していた。
そうか、コーンくん想定で「できて当然です」と言われることを一番に考えていたから、褒められて驚いたのか。
なんでコーンくんで考えたんだろう。……あ、いつも怒られてるからか。コーンくん=怒っている、という方程式を作ってしまったことを心の中で詫びた。
営業時間を終えて片付けを開始する。
今までは片付けもずっと厨房だったけど、今日はフロアへ回された。……コーンくんと一緒に。
テーブルクロスを回収してリネンカートへ入れ、布巾でテーブルを拭く。コーンくんは業務用の掃除機で床の掃除をしている。
「……」
「……」
気まずい。
普段話をしないわけではないけど、毎日怒られているし、初めて会った日のあの威圧感凄まじい姿が脳裏に焼き付いてしまっている。
しかも今日は、コーンくんが他の二人から責められるという事態が起こってしまっているのでなおさらだった。直接か間接か、私が原因であることは事実でしかない。
そうだ、空気になろう。私は空気だ。存在しているけど見えないものだ。気配を消せ。むしろ本当に消えたい。
冷や冷やしながらも、指示された作業を終えてしまった。回収したテーブルクロスをどこへ持って行けばいいのかわからない。
「あの、コーンくん……テーブルクロスはどこに持って行ったらいい?」
思い切って声を掛けるも、コーンくんは反応しない。
もしかしてついに無視されたのかと思ったけど、すぐに違うとわかった。声が小さくて掃除機の音に消されてしまったのだ。
ためらいつつも近付くと、気づいたコーンくんは掃除機のスイッチを切った。
「何ですか?」
「あ、えっと……集めたテーブルクロスはどこに持って行けばいいかな」
「厨房より手前にリネン室がありますからそこへ。使用済みのはクリーニングへ出します。リネン室のビニール袋へ入れておいてください」
「……はい」
コーンくんは途中から目を逸らした。
そんな反応も無理はない。これは明日から余計に仕事がしづらくなりそうだ。つい俯いてしまう。
「今日は……、」
「……え?」
「今日は、すみませんでした」
反射的に下がった顔を上げたが、何も言えなくなった。どうしてコーンくんが謝るのだろう。
「何ポカンとしてるんですか」
コーンくんが怪訝そうな顔をする。
「あ、いや……なんか、ごめんなさい」
「ミエルが謝る理由がありませんよ」
「コーンくんにもないでしょ? 私が悪かったのに」
本当はコーンくんが謝ってくる理由はわかっている。昼間、ポッドくんが言っていたことを思い出す。コーンくんがため息を吐いた。
「素直に謝罪を受け取ってください。自分に非があるとわかって、それを反省しないほどコーンもお高く留まってはいません」
「は、はい」
いつも自分が謝っているせいか、コーンくんから謝られると変な感じがする。こっちが申し訳なくなってきてしまう。
「今日、接客ではミスをしなかったそうですね」
「あ、うん。なんとか」
「そうですか」
小さく笑ったコーンくんは掃除機を引っ張って歩き出す。……笑ってくれた。
「終わりです。厨房に戻りますよ」
「はいっ」
少し大きく返事をして、リネンカートを押して背中を追いかけた。
困惑的アンプロンプチュ
───即興曲