「ノボリの料理ってなんでこんなにおいしいんだろう。おいしすぎて悔しい。……、うわー、これおいしい!」
「褒めるか文句を言うか黙って食べるか、どれかひとつにできないのですか?」
むしろその三つを同時にこなしていることを評価するべきなのだろうか、とノボリは判断に迷う。
昼食をとろうとしたところでナマエは弁当を忘れてきてしまったことに気づき、では売店で買ってこようとすれば財布も忘れてしまっていたとわかり、最終的には、まだこの後の勤務時間が長いにもかかわらず一切を飲まず食わずで過ごそうという無謀なことをするナマエにノボリは弁当を分けていた。
言ってくれれば弁当を買うお金くらい貸すというのに。
妙なところで遠慮する彼女は自分から貸してくれと頼むことはないし、こちらから貸そうとしてもそれを断る。しかし現在はノボリが分けた弁当を何のためらいもなく食べている。
ナマエの遠慮の基準はなんなのでしょうか。
そんなこと考えてもそれは彼女にしかわからないことなので、疑問に思うだけでそれ以上の追究はしない。体を動かして座り直すと、椅子にかけているコートが擦れる音がする。
「ねぇ、この卵焼きってどうやってこんなにおいしい味付けできるの?」
「ああ、それはといた卵にお出汁を、」
「また今度作ってきて。作り方説明されても、私じゃノボリと同じ味はできないから」
「……」
それはそれで理にかなっているようにも聞こえるが、聞いてきたなら話は最後まで聞いてほしい。彼女がこういう性格だとノボリも充分わかっているので今さら何も言わないが、そちらから訊いておいて途中で話を切られるのは少し悲しい。でもおいしいと言ってくれたのは素直に嬉しい。
「料理上手だし、ノボリいいお嫁さんになれるね」
「わたくしは男ですよ?」
「わかってるよ、言葉のあやだって」
自信持っておすすめできるよ、とナマエは笑う。
「料理は上手、掃除も完璧、洗濯させたらクリーニング顔負けなくらい綺麗にできるし、ノボリって最高の優良物件だよ。これを見逃してる人はバカだと思う」
では、あなたもすでにバカの仲間入りを果たしていることになりますよ。
そう思ったが口には出さなかった。
「私かろうじて掃除と洗濯はいいんだけど、やっぱり料理がいまいちだから売れ残ってるのかなぁ」
売れ残っている。
その表現の意味がすぐに理解できるのは、ノボリもナマエもいわゆる『適齢期』の大人だからである。にもかかわらず、お互いにそんな予定はまったくないからこそこんな内容の話になってしまうのだが。
「ナマエならすぐにいい人が見つかりますよ」
「ノボリもそんな慰めにならないことを言うの? 根拠がないテキトーなことは言わないほうがいいよ」
穏便に繕おうとしたこの言葉はどうやらしてはいけない模範解答だったようで、ナマエは呆れたようにため息をついた。
「どうせ行くアテもないなら、いっそ性別こえてお嫁さんをもらおうかな」
「残念ながら、イッシュ地方ではまだそういう法律が追い付いていませんから無理ですね」
「そこが一番のネックだよねやっぱり」
プチトマトを口に放り込むナマエはもはや完全に自分が嫁に行くということを除外しているらしく、そんなことを言う始末である。
将来的なそういうことを全く考えていないわけではないようだが、発想から考えて半ばあきらめているのだろう。
きっとナマエをもらいたい人はいますよ。
いっそ、そう言ってしまおうかと一瞬魔が差す。だめだ。きっと、また慰めにならないこと言ってと返されるだろう。先ほどの、してはいけない模範解答から学んだノボリは下手なことは言わない。
「ノボリだったらお嫁でもお婿でもどっちでもいけるね」
「人を雌雄同体生物のように言うのはおやめなさい」
「じゃあお嫁さん」
「どうしてもわたくしの性別を変えないと気が済まないのですか」
「売れ残りってことは認めるけど、料理とかが男の人に負けてるのはちょっと悔しいから」
ずっとノボリをお嫁と表現するのは、どうやらささやかに自分のプライドを守りたいためらしい。
「……まぁ、この際お嫁でもなんでも構いませんが、」
ノボリはぱちりと箸を置いた。
「それだけ褒めてくださるのならば、近い将来、責任持ってわたくしをもらってくださいませ」
「……え?」
「わたくしが“お嫁に”行くのは性別的にどうしても無理ですからきっと行くアテは見つからないでしょう。売れ残ります。……ですが、ナマエがお嫁をもらおうというのであれば喜んで立候補いたしましょう。売れ残り同士ですし、わたくしはナマエ自身からお墨付きを頂きましたので、ご期待を裏切らない良いお嫁になることをお約束いたしますよ」
ぺらぺらと一気に言い切ったノボリの言葉に、ナマエは完全に硬直している。
小さく笑ったノボリは立ち上がる。そこでようやく、止まっていた時間が再び動き出したようにナマエはハッとした。
「え、ちょ、どこに……」
「今日は飲み物を持ってくるのを忘れてしまったので、売店へ行ってまいります。お茶でよろしいですね?」
「あ、うん……」
反射的に頷く彼女を残してノボリは勤務室を出た。
ちょっとやり過ぎたかもしれませんね。
ナマエにとってあまりに急だっただろう。きっと今頃混乱しているだろうけれど、ノボリは言ったことを後悔はしていない。
まともな返事が返ってくるかどうかはまた別の問題ではあるが。そう思った瞬間、バンッと勤務室の扉が開き、驚いて振り返ったノボリに勢いよくナマエが飛びついてきた。
「ナマエ……!?」
「ノ、ノボリ! あ、あのね、私ノボリがお嫁に来てくれるの大歓迎だよ! 料理作ってくれるの助かるし、ノボリがいてくれたら嬉しいし、楽しいだろうし、ノボリがお嫁に来てくれたらきっと……すごい……幸せだなぁって、思い、ます……」
最初の勢いは後半になるにつれ語尾とともに小さくなっていった。
だんだんと顔もうつむいていったが、その顔が真っ赤であることと、飛びついた勢いにシャツを掴んだ手が控えめに力を込めたことにノボリの顔はほころんだ。
「大変嬉しいです。しかし一応わたくしは男ですので、そろそろお婿に訂正していただけるとなお嬉しいのですが」
「あ、うん、そうだね……ごめんね、お婿さん」
「お気になさらず、お嫁さん」
これからの人生をあなたと生きていけるのならば嫁でも婿でも構わないのですが、念のため。